レイキの歴史
臼井甕男 略歴
| 1865 (慶応元)年8月15日 | 岐阜県山県郡谷合村に生まれる。通称を甕男(みかお)、号を暁帆(ぎょうはん)と名のる 成人後、海外遊学、政治家の秘書など、数多くの仕事と経験を積む |
| 1922 (大正11)年4月 | 京都の鞍馬山にて21日間の断食瞑想の結果、大靈氣を頭上に感じ、「宇宙の靈氣に基づいて心身を健全にする」靈氣療法を創始。 東京の青山原宿に「臼井靈氣療法学会」を設立。靈氣治療とともに公開伝授を行う |
| 1923 (大正12)年9月 | 関東大震災発生。被災した多くの人たちを靈氣にて治療 |
| 1925 (大正14)年2月 | 東京の中野に移転拡大 |
| 1926 (大正15)年3月9日 | 出張先の福山にて死去 |
レイキの歴史
感得後、東京青山原宿に臼井靈氣療法学会を設立した臼井先生は、万人に靈氣治療を行うとともに、伝授も行いました。
当時靈氣は「初伝」「奥伝」「神秘伝」の三つに分かれていました。初伝から奥伝、奥伝から神秘伝へのステップは、相当の自己修養と治療レベルが確立されてないと許されず、神秘伝まで伝授された者はごく少数でした。
臼井先生が亡くなられた後も、臼井靈氣療法学会は存続していますが、門戸はいつしか閉ざされ、今や家族か紹介以外は入会することができません。そのため、靈氣はいつしか人々の意識から消え去りました。
一方、靈氣療法学会とは別の流れが存在しました。それは、臼井先生が亡くなられた後に退会された林忠治郎(1879~1940)先生の流れです。林先生の門下に、日系ハワイ人の高田はわよ先生がおられました。
高田先生は、ご自身の病気をきっかけに靈氣を学ばれ、ハワイへ帰国後、靈氣を広めることになりました。当初は治療のみ行われていましたが、やがて伝授もされるようになり、最終的に22人のレイキマスターを残しました。
靈氣は本来、明治天皇の御製(和歌)を奉唱し、「五戒」を唱えるところから始まりますが、そういった感覚は日本人でないと理解しにくいため、外国人にもわかりやすいよう、高田先生は靈氣をシステム化しました。
御製を奉唱するなど日本独特の部分を割愛し、手を当てる基本ポジションを決めるなど、方法さえ守ればできるようにアレンジしたのです。これにより、靈氣はReikiとなって世界中へ広まり、辞書に載るまでになりました。
1980年代、Reikiはいよいよレイキとなって日本へ逆輸入されてきます。これはラディアンス・テクニーク協会の三井三重子先生が、積極的に伝授を行ったことがきっかけとなりました。この協会は、高田先生が輩出したマスター22人のうちの一人、バーバラ・レイ先生が設立したものです。ほかには、高田先生の孫であるフィリス・L・フルモト先生が設立した、レイキ・アライアンス協会があります。
このころレイキは7段階に細分化されており、三井先生でもレベル2までしか伝授できるレベルになく、マスターになるには相応の自己修養が要求されたようです。このような状況から、日本でマスターになることはできず、上級レベル志望者はみなアメリカへ渡ることを余儀なくされました。
1990年代初頭、フランク・ペッター先生が日本で伝授をはじめたことにより、日本でも最終コースを受けることができるようになりました。これにより、日本人のレイキマスターが増えました。このころレイキは4段階になっていました。
やがて日本でもレイキに関する団体ができ、レイキセミナーが大々的に行われるようになりました。
そして’90年代中頃、レイキブームが到来しました。これにより認知度は増したものの、形骸化し、際物的に扱われるようになりました。そしてレイキブームは、真実が伝わらないまま幕を閉じました。
2000年代に入り、レイキの本質を求める人たちの地道な努力が、ようやく実を結びはじめました。外部との接触を拒んでいた臼井靈氣療法学会とも僅かながら接触できるようになり、少しずつですが全貌が見えはじめてきています。
▶十大特徴