レイキの歴史

レイキの誕生

大正11年、日本の臼井甕男(うすいみかお)氏は、京都の鞍馬山にて二十一日間の断食瞑想をおこない、そして「宇宙の靈氣に基づいて心身を健全にする」技法を感得されました。
臼井氏はそれを「臼井靈氣療法」と名づけ、世に広めることにしました。

臼井先生曰く、靈氣療法とは、

畏くも明治天皇の御遺訓を奉體し我が教義を成就し心身錬磨向上を期し、人たるの正道を歩むため、第一心を癒し、第二肉體を健全にしなくてはなりません。心が誠の道に適い、健全であれば、肉體は自ら壮健になります。 斯くて靈肉一如となって平和と享楽の生涯を完うし、傍ら他の病者を癒し、自他共に幸福を増進することが、臼井靈氣療法の使命であります。

と述べられています。

つまりレイキは、癒しとしてのみならず、健康法、精神修養法であり、しあわせに生きるための技法である、と述べられています。

レイキの変遷

感得後、東京は青山原宿に臼井靈氣療法学会を設立した臼井先生は、万人に靈氣治療を行うとともに、伝授も行いました。
当時靈氣は「初伝」「奥伝」「神秘伝」の三つに分かれていました。初伝から奥伝、奥伝から神秘伝へのステップは、よほどの自己修養と治療レベルが確立されてないと許されず、神秘伝まで伝授された者はごく少数でした。

臼井先生が亡くなられた後も、臼井靈氣療法学会は存続していますが、門戸はいつしか閉ざされ、いまや家族か紹介以外は入会することができません。そのため、靈氣はいつしか人々の意識から消え去りました。

一方、靈氣療法学会とは別の流れが存在しました。それは、臼井先生が亡くなられた後に退会された林忠治郎(1879〜1940)氏の流れです。林先生の門下に、日系ハワイ人の高田はわよ氏がおられました。
高田先生は、ご自身の病気をきっかけに靈氣を学ばれ、ハワイへ帰国後、靈氣を広めることになりました。当初は治療のみ行われていましたが、やがて伝授もされるようになり、最終的に22人のレイキマスターを残しました。

靈氣は本来、明治天皇の御製(和歌)を奉唱し、「五戒」を唱えるところから始まりますが、そういった感覚は日本人でないと理解しにくいため、外国人にもわかりやすいよう、高田先生は靈氣をシステム化しました。
御製を奉唱するなど日本独特の部分を割愛し、手を当てる基本ポジションを決めるなど、方法さえ守ればできるようにアレンジしたのです。これにより、靈氣はReikiとなって世界中に広まり、辞書に掲載されるまでになりました。

1980年代、Reikiはいよいよレイキとなって日本へ逆輸入されてきます。これはラディアンス・テクニーク協会の三井三重子先生が、積極的に伝授を行ったことがきっかけとなりました。この協会は、高田先生が輩出したマスター22人のうちの一人、バーバラ・レイ先生が設立したものです。ほかには、高田先生の孫であるフィリス・L・フルモト先生が設立した、レイキ・アライアンス協会があります。

このころレイキは7段階に細分化されており、三井先生でもレベル2までしか伝授できるレベルになく、マスターになるにはかなりの自己修養が要求されたようです。このような状況から、日本でマスターになることはできず、上級レベル志望者はみなアメリカへ渡ることを余儀なくされました。

1990年代初頭、フランク・ペッター先生が日本で伝授をはじめたことにより、日本でも最終コースを受けることができるようになりました。これにより、日本人のレイキマスターが増えました。このころレイキは4段階に戻っていました。

やがて日本でもレイキに関する団体ができ、レイキセミナーが多く行われるようになりました。そして’90年代中頃、レイキブームが到来しました。これにより認知度は増したものの、形骸化し、際物的に扱われるようになりました。そしてレイキブームは、真意が伝わらないまま幕を閉じました。

今世紀に入り、レイキの本質を求める人たちの地道な活動が、ようやく実を結びはじめました。外部との接触を拒んでいた臼井靈氣療法学会とも僅かながら接触できるようになり、少しずつですが全貌が見えはじめてきています。